『日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本舟丁・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。・・・』
という、日本橋の魚河岸跡は、現在の日本橋のところに記念碑が残されています。
江戸城への物資を運ぶために、水路が張り巡らされていた江戸の町ですが、佃島に移り住んだ漁師たちの水揚げした魚をここの魚河岸で荷揚げしたんですね。
江戸前や近海で獲れた魚は、漁船や「押送船(おしおくりぶね)」という八艇櫓(はっちょうろ)の高速船で魚河岸へ運び込まれました。
冷蔵技術がなかった時代、生鮮食品を新鮮なうちに台所へ届けるのは時間との勝負。「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれる行商人が大活躍したのだそうです。
この魚河岸は、関東大震災後に築地に移るまで、大活躍した魚市場だったのですね。