時代劇でよく見ていた、あのお白洲(おしらす)で遠山の金さんがもろ肌脱いだり、大岡越前の場面。
なんとなくぼーっとみていましたが、遠山の金さんのモデルになった遠山 景元(とおやま かげもと)氏や大岡越前の大岡 忠相(おおおか ただすけ)氏は、江戸町奉行のお役人だったんですよね。
と、ここまではドラマの中にも出てきて、北町奉行、南町奉行という言葉もドラマに出てきますね。
この北町奉行所、南町奉行所の跡地が、東京駅、有楽町駅のところだったんです。
知らなかった・・・(私だけ?)
北町奉行所は現在の東京駅のトラストタワーのあたり。
江戸時代には呉服橋門内と呼ばれ、文化3年(1806)から幕末まで北町奉行所が置かれていた場所だそうです。
南町奉行所は今の有楽町駅あたり。有楽町駅および東側街区一帯だそうです。
南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にあったのだそうですよ。
いつも通り過ぎている場所に、北町奉行所も南町奉行所もあったんですよね。
で、丸の内トラストタワーに発掘された石垣などが復元されている、ということで行ってきました!!
まずは、東京駅八重洲北口を出て、ちょうど大丸にぶつかって左に曲がり、
トラストタワーへの通用口のようなところに、昭和43年10月1日に作られた石碑が壁に埋め込まれています。
場所を聞いていなければ絶対にわからないところです。人一人が歩けるドアのところで、しゃがんで写真を撮っていて、めちゃくちゃ迷惑の人になってしまいました(*_*;
その通路を出て、トラストタワーの本館とN館の間の5層吹き抜けのガレリア。
ここもちょうど隣のビルの工事中で、こんなオアシスがあるなんて気付かずに素通りしてしまいそうなところです。
そこにも説明版とともに、ここから西方約30mの地点で発見された屋敷北東角の道路との境を巡る下水溝の一部を、復元されています。
平成12年からの発掘調査で、北町奉行所の上水道や井戸、屋敷境などの遺構が発見されたのだそうです。
南町奉行所跡は、有楽町のマルイから有楽町駅の間にある円形の屋根のところに
説明版と、石組下水道の一部を再現しているとのことです。すっかり休憩用のベンチとなっているような気がしますが・・・。
平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されたそうです。「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札も出土したのだそうですよ。