故 金原亭馬生氏の「お初徳兵衛」というお噺の中に隅田川沿いの首尾の松が出てきます。
江戸の昔、水路の発達により、お金さえだせば、船での移動が多かったようですね。
このお噺でも、吉原に遊びに行くのに船を借り切って遊びに行きます。
お金持ちの旦那が芸者を連れて吉原に遊びに行くのに船宿で船を手配してなじみの船頭で船に乗り込む。
途中で吉原には芸者が入れないことに気づき、芸者だけを送り返してもらうことに。ただし、ご法度である一人芸者(女性?)と一人船頭。
芸者が問題ないので是非にということで帰路に。
途中大雨に雷。仕方なく首尾の松にもやいをつないで、雷の過ぎるのを待つことに。
そこで芸者が昔お金持ちの息子であった船頭にあこがれていたことを打ち明け・・・
首尾の松につながれた船は雨が止んでももやいを解くことはなかった、と。
お噺自体も色っぽいけれど、馬生氏のあののんびりとけだるいような語り口調が妙に色っぽく、私の大好きな演目です!
隅田川の蔵前橋のたもとに首尾の松の碑が立っています。
実際にはこの碑の場所から約百メートル川下に当たる、浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」があったのだそうです。
「首尾の松」の語源については諸説あるようですが、歌川広重の「浅草川首尾の松御厩河岸」の浮世絵にも残っていることからも、当時も有名な松だったのでしょう。
初代「守備の松」は、安永年間(1772-80)風災に倒れ、更に植え継いだ松も安政年間(1854-59)に枯れ、その後も幾度となく植えられ枯れてを繰り返し、現在は七代目とのこと。
ちなみに、この蔵前という地名、幕府の御米蔵がこの地にあったことに由来するのだそうです。
この御米蔵は、元和年間に大川端を埋め立てて建てられ、盛時には、数十棟もの蔵が立ち並んでいたのだそうです。
当時、輸送は船が便利だったのですね。
参考
首尾の松 隅田川 台東区蔵前1-3