江戸の昔、幕府は飲み水などの生活用水を確保するため、玉川から水を引き込むという壮大な事業を計画し、わずか8ヶ月の間に羽村の取水口から四谷大木戸までの水の路を作ったと言います。
そこから石樋、木樋による配水管を通して水道がどんどん張り巡らされていきます。
玉川上水以前に作られた神田上水と合わせて江戸城を取り巻く水の道、人々の生活を支えて行きます。(他にも幾つかあったようですが途中で使用しなくなるなどいろいろあったようです。)
これらの水道が届かなかった深川などでは、呉服橋の銭瓶橋辺りに上水から流れ出ている水を舟に組んで庶民に売り歩く水屋から水を買っていたということです。江戸の時代も大変だった!水屋の仕事はもっと大変だ!
もう一つ、夏場に冷たい水を売り歩いた、格好いいお兄さんを水屋といったそうな。冷たい水に砂糖と白玉が入ったものを売ったとか。
白玉食べたい!
「こちとら江戸っ子でぇ、水道の水で産湯を使ったお兄いさんよ♪」
という啖呵はこの水の道、だったんだそうな。
東京水歴史館で上水記展をやっていて、羽村から四谷大木戸までの設計図(?)などみて、ちょっとの間、江戸の昔にワープしてきました。
詳しいことはここで↓
玉川上水の歴史