庚申(こうしん)の夜、人の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、寝ている人の身体を抜け出して天に昇り、その人の悪事を天の神様に告げ口するという。
悪事をばらされては大変と、その夜は寝ずに猿田彦(さるたひこ)や青面金剛(しょうめんこんごう)を祀り、夜通し起きて宴会をしていた。
というのが、古くは中国より伝来した道教に由来するものだったようですが、特に江戸時代から盛んになった風習だったようで、庚申講(こうしんこう)とか庚申待ち(こうしんまち)とか言われていたのだそうです。
江戸時代のころは、十干(じっかん)十二支(じゅうにし)で年や日付などの60進法の数値を表していたようで、『庚申(こうしん)』という日も60日に一度訪れる日を指します。(「参考」参照)
ところで、その庚申の日に眠ってしまって悪事が天の神様に伝わってしまった人間は、身の回りに災難がふりかかったり命を縮めたりするといわれていたようです。
悪事をしないようにではなく、三尸虫(さんしちゅう)を体から出さないようにするという考え方は、、、さすが人間! あっぱれ!です。
で、Wikipediaの解説によると、そのあっぱれにも寝ずに頑張る庚申待ちを3年18回続けて、無事神様に告げ口をされず、災難に会いませんでした、ありがとうございましたということで建てたものが、庚申塔とか更新塚とか言われるものなのだそうです。
ここ、千葉県柏市には、そういった庚申塔が約700基も確認されているとのことです。
その一つ、小字名(こあざ: 町や村の中の一区画の名)にものなっている柏市南増尾の道路沿いには、百基あまりの塔が一か所に建っており、百基申と呼ばれています。
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こんな感じで、県道51号線の歩道側にずらっと並んでいます。
どちらがスタートかは別にして、最後のところには場所が取れたのか、何列にもたくさんの庚申塔が詰め込まれているといった感じです。
その中には、すでに風化してしまっているものも。
年代はもちろんばらばらですが、これなどは、「天保」の文字が読み取れます。「天保(てんぽう)」って、1830年から1844年までの期間で徳川家斉(11代将軍)、徳川家慶(12代将軍)の時代ですよね。
柏市教育委員会、柏市文化財保護委員会でこんな説明書きも立てられています。
【おまけ】
ところで、体の中の虫と聞くと、古今亭志ん生さんの「疝気の虫(せんきのむし)」を思い出します。
体の中にいる疝気の虫は、筋を引っ張って人を苦しめるのがお仕事。
その虫の研究をしていたお医者様がある日夢か現か疝気の虫を捕まえる。
つぶされては大変と、疝気の虫はお医者さんの質問に答えて、蕎麦が大好きなことや唐辛子で溶けてしまうこと。唐辛子のにおいがすると男の人の大事なところ(疝気の虫曰く別荘)に逃げ込むから大丈夫なこと、などを聞き出す。
そして、疝気の虫に暴れられて困っている旦那(患者)に、蕎麦のにおいにつられて奥方の身体に乗り移らせるように仕組み、まんまと奥方の身体に乗り移らせる。
その瞬間、奥方に唐辛子入りのおつゆを飲んでもらって疝気の虫をやっつけようとする。
慌てた疝気の虫は別荘に逃げ込もうとして別荘がない・・・チャンチャン!というお噺。