新京成電鉄の五香駅のほど近く、「野馬除土手」という杭がたっています。
「小金牧の放牧馬の逃亡を防いだり、農民が畑を荒らされるのを防ぐため築いたものです。史料によると総延長150キロメートルあったとあります」と説明が書いてあります。
江戸時代の柏市を含む近隣の場所は、小金牧(こがねまき)という広大な牧(まきば)が広がっていたのだそうです。
小金牧は高田台牧、上野牧、中野牧、下野牧、印西牧の5牧からなっており、今の柏市、鎌ヶ谷市、松戸市、船橋市、白井市にまでおよぶ大きな、馬の放牧地だったということです。
ここで育てられた馬は、幕府役人用の馬として献上され、残った馬の中から自分たちの運搬用・農耕用としても使っていたのだそうです。
今の牧場のように管理されたものではなく、自然繁殖で、ほとんど人の手が加わることなく、半ば野生の馬(野馬)を放牧しているところで、民家や田畑の場所に近づけないために土手を作り、囲っていたのだそうです。その土手が野馬除土手(のまよけどて)と言われているもので、小金牧の土手のあとは何か所か保存されています。
この五香の土手もその一つです。
きっと野生の馬だけでなく、それを狙う狼や、様々な動物たちがいたのでしょう。
月明りしかない夜の暗闇の中、土手を隔てただけの人々の暮らしは、今の私たちの生活から比べてしまうととても怖いように想像してしまいます。
考えてみれば、江戸時代、ほとんどがそんなところだったのかもしれませんし、土手があるから安心だったのかもしれませんね。
牧場では毎年(最初のころは何年かに一度だったらしいですが)、幕府に献上する馬を捕まえるための、野馬捕りが行われ、捕込(とっこめ)場に野馬を追いやすいように、勢子土手(せこどて)というものも何本も作られていたのとのことです。
野馬捕りは、場所により十月中旬から11月初旬、6月中旬から7月初旬と、農閑期を選んで村々で決めていたらしいということで、農民も駆り出されて馬を追う、大変な作業だったことでしょう。
献上する馬は、「御紋付馬衣」を着せられ、水戸街道を宿継(しゅくつぎ)で江戸の厩に送られていったのだそうです。
元気な馬を育てるのも大変、捕まえるのも大変(野生の馬ですから!)、そのうえ幕府に献上するために届けるのも大変。
落語で聞いているお気楽な江戸時代から、急にシビアな江戸時代を感じてしまいました。
そういえば、「たがや」という落語で、川開きの花火でごった返す橋を馬に乗って通ろうとしたどうしようもない旗本がいましたね。
旗本の首が切られて飛んで、「たまや~」じゃなくて「たがや~」と叫ばれる、ちょっと怖い落ち。
もしかしたらその時の馬、小金牧で育った馬だったりして!