江戸の昔、多くの神社とお寺が一緒の敷地内にあったんだそうです。明治になって新政府が天皇を崇めるための新道を国の宗教としようと神仏分離令を出したそうな。(江戸時代にも神仏分離政策が行われたこともあったようですが・・・)
酉の市で有名な鷲神社と長国寺、浅草寺と浅草寺、そして冬至の日に多くの人が集まる早稲田の穴八幡と放生寺。
すべて隣り合っていて江戸時代は同じ敷地内にあったのだなぁ、と江戸の昔をしのばせている。
冬至の今日は穴八幡、放生寺にお参りされる方たちで早稲田駅前付近がすごい人でにぎわっていました。
穴八幡からいただけるお守りには「一陽来復」と書かれていて、放生寺からいただけるお守りには「一陽来福」と書かれています。
「一陽来復」とは陰極まって当時に一陽が生ずる、という易の言葉
「一陽来福」は一陽来復から「来る」年も沢山の「福」が来る様に、観音経の結びの「福聚海無量」=福聚(あつ)むること海の如く無量なり と言う偈文より「福」の字を取って名付けられた言葉だそうです。
ちなみに、放生寺の「一陽来福」のお守りは、江戸末期(天保年間)より授与したのが始まりで、今日いただくお守りは冬至前七日間、ご本尊聖観世音菩薩の御祈祷をしていただいているものだそうです。
どちらも恵方の方角(今年は寅卯:真東から少し北寄り)に向けて反対側の柱か壁に、冬至、大晦日、節分のいずれかの日の夜中の12時にお祭りするのだそうです。このお守りで、商売繁盛、金銭のご利益があるのだそうです。
冬至とは、「北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日」なんだそうです。
そして、ここからお日様が少しずつ長く照らしてくれるようになる「始まりの日」という考え方になるのだそうです。