先日、読売新聞に載っていたこの句がとても印象に残った。
印象に残るというより、私の心にぐさりと刺さった感じだった。
家康が江戸を与えられ、住みやすくしていくために湿地を埋め立て、上水用の川を作って国づくりをしていった。そのスケールの大きいこと。
隠居をしてから勉強し、歩いて日本の土地を測定し正確な地図を作った伊能忠敬のデカさ。
これらの人のことを考えると、どうしても自分の器の小ささを嘆いてしまう。
そんな時に出会ったのが、この小林一茶の句。
はだかにて生まれてきたに何不足
器が大きい、小さいと考えていること自体なんか小さなことのように感じてしまう大きな、高いところにある考え方に感じた。
ググってみると曹洞宗 龍昌寺の法話の中にこの句のことが書かれていた。『赤貧に甘んじたのは、次から次へと生まれてくる欲望を追いかけっこをしていて、本来の道、俳句づくりの道からはずれてしまうことを恐れたのだと思います。』と。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
やれ打つな蝿が手をする足をする
などの代表的な一茶の句も、優しいだけの句というより、私などが見ているよりもっと上の目線ですべての生命を包み込むような優しさを感じた。