建前(たてまえ)、上棟式(じょうとうしき)、棟上げ式(むねあげしき)

建前(たてまえ)、上棟式(じょうとうしき)、棟上げ式(むねあげしき)

3つとも同じ意味のようです。

 

棟上げとは、『家を建てるとき、骨組みを組み立て、最上部に棟木(むなぎ:屋根の最上部に取り付ける横木)を上げること。また、そのときに行う儀式。』だそうです。
棟木(むなぎ)は、こちらのページでわかりやすいですよ。
この棟木(むなぎ)が取り付けられて骨組みが整った時に、今後の工事の無事や、この家がずーと壊れたり、禍にあったりしないように、またこの家に住む家族がずーと幸せでありますように、と神様にお祈りする儀式です。
この儀式は古くは平安時代初期からあったのだそうです。
平安時代は、たくさんに分かれた段階で、たくさんの儀式があったのだそうですが
江戸時代に入り、それが簡略化され、地鎮祭(じちんさい)と上棟式だけが残っていったのだそうです。

 


昔はね、建前のときは、お餅や、みかん、おひねりなんかを高いところからまいたのよ。それで棟梁(とうりょう)がお祝いでしこたまお酒を飲んでね、建前が終わると、職人さんたちが酔っぱらった棟梁を、大工道具などを載せた大八車に一緒に載せて、引き上げてったんだよ。今の棟梁は車で来ていて、飲めなくてかわいそうねぇ。
—昭和3年生まれ、茨木県ののおばあちゃんのお話—


 

ところで、上棟式に関するお話で、同じような2つのお話がありました。
同じようで、全く違うお話?のような・・・。

1つは、京都の大報恩寺(だいほうおんじ)に“縁結び”“夫婦円満”“子授け”にご利益があると言われている「おかめ塚」のお話。


大報恩寺の本堂が建築された時に、この大工事の棟梁であった「高次(たかつぐ)」が大切な柱となる木材を短く切り過ぎて憔悴しきった姿に、その柱を使うために枡組という技法で継ぎ足すように提案し、夫の窮地を救った妻「阿亀(おかめ)」を偲んで設けられました。
阿亀は助言によって夫が難局を乗り切ったにもかかわらず、「(建築のプロでもない)女性の提言で棟梁ともあろう人物が大工事を成し遂げたと知られれば、夫の名誉を汚し、信用も失うのではないか。この身を夫の名声のために捧げよう」と上棟式の前日に自害してしまいました。
棟梁の高次は、本堂の上棟式にあたり、妻の冥福と工事の無事を祈って、永久にこの本堂が守られる事を願い、亡き阿亀(おかめ)に因んだ福の面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾りました。
現在でも、上棟式でおかめ御幣が柱に飾られるのは、おかめの徳を偲んで、永久に保つような頑丈な建物となり、繁栄を祈るためとされています。


また、別のお話。古民家検定本(発行:一般社団法人200年住宅再生ネットワーク機構)から。


遠い昔、ある有名な棟梁がいました。建前の前夜、彼は玄関の柱が短いことに気付き、明日の建前が無理であることを悟りました。誇り高き棟梁だった彼は、柱の刻みを誤ってしまったことを恥じ、自害を考える程思い悩んでしまいました。その一大事を知った妻は混乱する夫に酒を勧め、眠らせることにしました。妻は苦しむ夫の力になろうと一晩中考えた末に一つの名案を思い付きました。その名案とは柱の足りない部分に桝(マス)を使い補うというもの。
建前当日の朝、力なく目覚めた夫に妻は何も言わず三つの桝を差し出しました。彼は瞬時に妻の考えを悟り、一升、五合、一合桝を巧みに組み合わせ、無事に建前ができたということです。
・・・
うまくいったとはいえ棟梁にとっては末代までの恥。このことが口外されることを恐れ、妻を殺害してしまいました。しかし夫は悔やみ、建前のときには妻の弔いとして棟に女の七つ道具(口紅、おしろい、くし、かんざし、鏡、かつら、こうがい)を飾ったということです。これがのちに「建前の儀式」となったそうです。そして棟梁というメンツに執着した物語から「たてまえ」という言葉の語源になった?・・・